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事務所代表の個人ブログページです。このサイトを丁寧に読んでくださる方々から直接尋ねられたことや、お客さまからのご相談などで広くシェアしたいと感じた内容を、折々のなかで綴ります。

No.16-2023.8.4

労働基準法第34条の休憩について

休憩時間にまつわるさまざまなトラブルを見てきましたが、ほとんどの場合「休憩時間」の認識が異なっていることが発端で労務トラブルになっているようです。


平成時代の半ば頃に多かったのは、昼に電話当番を輪番で行うような事業所での、当番の休憩時間の取扱についてでした。


自分の席で昼の弁当を食べながら、電話が鳴ったら当番が取るというものなのですが、弁当を食べながら電話の取次程度の作業をする程度のものは、そもそも仕事なのか、仕事ではないのか、という認識の違いが、トラブルのもとでした。


よく考えてみれば、その時間全部について、自由に使うことができるかといえば微妙なわけですから、労働基準法第34条第3項の自由利用の原則に照らせば、昼の電話当番は休憩時間とはいえないのではないか、という認識へ世の中全体が変化していき、今ではこのことを論争にする光景はあまり見なくなりました。


一方、業務自体が休憩時間に食い込んで休憩が取れない程に忙しいとか、取り立てて時間を区切って45分なり1時間なりのまとまった時間の休憩を確保すること自体が難しいとか、労働時間のメリハリをつけづらい業務が増えてきたので、そもそも休憩が取れなかった時間は残業代を払うべきではないか、という議論へとシフトしていきました。


また、家族の事情などによるのでしょうが、終業の時刻を切り上げて早帰りしたい人が増えているように思います。


10時〜17時の休憩45分で勤務していますが、諸事情で10時〜16時休憩なしの勤務に変えたいと思っています。ところが、弊社の人事からそれはできないと言われました。労働基準法第34条で、労働時間が6時間を超え8時間以下の場合は少なくとも45分、8時間を超える場合は少なくとも1時間の休憩を与えなければなならないと定めているのですから、10時〜16時は6時間を超えてないため休憩なしもありえるのではないでしょうか?」という相談を受けたことがあります。


しかし、このような休憩無しの6時間勤務ですと、1分でも終業時刻を過ぎたら労働基準法第34条違反を構成してしまうわけです。


また、17時まで就業する必要がある事業・業務において、休憩時間を節約して労働時間を短くし16時までの勤務に変えて欲しいと思っても、経営的視点からは合理的とはいえないのでなかなか許可されないと思います。


それで10年近く前のことですが、某保育園のパートの勤務時間を検討するにあたり「夕方は17時近くまで居て欲しいので、昼休憩は1時間取って拘束時間を少しでも長くしたい」と保育園の園長がおっしゃっていたことを、思い出しました。


確かに、保育園では預かりとお迎えの時間帯には、スタッフをなるべく多く揃えていたいという事業運営上の事情があるのでしょう。


そんなわけで、個人の事情で夕方早く帰りたい人は、夕方に人がいてほしい事業に適さないわけです。


仕事に応募するときは、個人の事情と事業の事情を鑑みて、各自のライフスタイルと体力的な特徴(夜型、朝型、徹夜OKなど)にあっている仕事に応募することをおすすめしたいと思います。


少し話がずれてしまいました...休憩時間にまつわるトラブルの話に戻します。


時間外・休日労働の場合の休憩に対する認識の違いが、ちょっとした紛争にまで、発展した過去事例があります。


従業員の言い分は「残業時間中は休憩時間を取らせるべき法的な制限はないから残業時間全部に対する残業代を払うべきである。たとえ残業時間中に休憩を取ったとしても、その時間数の賃金の控除はするべきではない。同様に休日出勤の場合も休日出勤時間の全てに対する休日勤務手当を支給するべきであって、休憩時間に相当する時間数の賃金の控除は許されないはずだ」と言う内容でした。


この主張のポイントは、休憩を取るべき法的な制限がない時間外・休日労働の時間中は休憩時間の賃金も割増賃金で払うべきである、というものです。


しかし、労働時間が時間外・休日労働の時間であっても、その日(例えば土曜日出勤)の実労働時間が、6時間を超えたら45分、8時間を超えたら1時間の休憩を与えなければならないのです。


休日労働(例えば日曜・祝祭日)の場合も、同じです。


労働基準法第34条でいうところの労働時間は、時間外・休日労働等の名目にかかわらず、その日(0時から24時)の実労働時間のことを言っているわけで、それが土曜出勤であっても日曜出勤であっても、その日の労働時間が6時間を超えたら45分、8時間を超えたら1時間の休憩を与えなければならないわけです。


労働基準法は第34条第1項(6時間超で45分、8時間超で1時間)だけでなく、第2項(一斉休憩の原則、労使協定による特例)、第3項(自由利用の原則)、さらには第40条(休憩の特例)、則31条(一斉休憩の適用除外)、則32条(乗務員等の休憩の例外)、則33条(自由利用の適用除外)など、様々な休憩についての定めがありますから、これらを総合的に理解していないと、事例のような勘違いに基づく主張ができてしまいますし、労使ともに認識が浅いと適切な休憩時間管理ができません。


それぞれの事業にあっている合法的な休憩時間とはどのようなものかについて、社労士に素直に相談してみるなどして、今までの「普通」とか「当たり前」についてゆっくり考え直していただくことが、大切なのではないかなとつくづく思うのです...


たかが休憩、されど休憩....

No.15-2023.5.25

健康保険・厚生年金保険の適用について

健康保険・厚生年金保険の適用拡大について、協会けんぽを例に、簡単にご説明します。

 

学校共済、健保組合などは、詳細な基準などが若干異なりますので、ここでは説明を割愛します。)

 

健康保険・厚生年金保険の適用事業所の従業員は、本人の意思、国籍、報酬の多寡を問わず、健康保険・厚生年金保険の被保険者となります。

 

簡潔にいうと、法人経営者とその従業員で、継続的に報酬を受け取っている人は、強制適用となります。

 

ただし例外があります。例えば70歳以上の人は厚生年金保険の被保険者とはならず、健康保険のみの適用を受けることになります。(年金給付の支給調整は、引き続き受けます。)

 

また、1か月以内の期間で日々雇い入れられる人、2か月以内の期間を定めて使用される人、4か月以内の期間を定めて季節的業務に使用される人、6か月以内の期間を定めて臨時的事業に使用される人、及びフルタイム従業員の所定労働時間の4分の3未満の短時間労働者(例:所定労働時間が週30時間未満のパートタイマー)は、いずれも強制適用から外れます。

 

しかし、それぞれ予定していた期間(1か月、2か月、4か月、6か月)を超えて使用されるに至った時は強制適用となります。


短時間労働者については、労使協定を結ぶことにより、適用対象にすることもできます。

 

令和4年10月以降は、同一法人番号を持つ事業所全体(個人事業の場合は、同一事業主)で被保険者に該当する人の合計が常時100人超となる場合、その事業所で働く学生を除き、1週間の所定労働時間数が20時間以上、月額88,000円以上、継続2か月以上勤務の人は、健康保険・厚生年金保険の被保険者となります。

 

役員などのエグゼクティブの場合は、そもそも時間で雇われているわけではないので、就業時間数に関わらず、関与実績があって報酬が払われている場合は、強制適用となります。


No.14-2023.5.25

社会保険料に関するよくある誤解について

社会保険料に関するよくある誤解について、解説したいと思います。

はじめに、健康保険料(介護保険料を除く)の個人負担額(1人分)について、おさらいしてみます。

参考として「協会けんぽ東京」と東京23区の「国民健康保険」の、令和5年度の保険料上限額下限額の範囲を見てみます。


【上限額】

協会けんぽ東京:(標準報酬月額分)年834,000円 + (標準賞与分)年286,500円 = 年1,120,500円

23区国保:年870,000円

 

【下限額】  

協会けんぽ東京:(標準報酬月額分)年34,800円

23区国保:(均等割部分)年60,100円

 

なお、国保は、家族で事業を行っている世帯を想定していますから、家族の一人ひとりを独立した個人として扱いますので、全員が被保険者となります。 

 

ここで一つ、20歳から60歳までずっと年収400万円で世田谷区在住の独身者を想定した場合で、比較してみましょう。

 

なお、実際には年収は変動するでしょうし、国保の均等割は世帯人数で上下しますし、40歳から65歳までの間は国保も被用者保険も介護保険料がありますし、保険料率、再評価率、給付乗率、老齢基礎年金の給付額、消費者物価指数のいずれも変動し、マクロ経済スライドが発令されることもあり得ますが、これらの要因を全て排除しないと比較ができないためご容赦願います。

 

会社で社保に加入している場合

厚生年金保険料:年373,320円(月31,110円)

健康保険料:年204,000円(月17,000円)

 

個人事業主等で国年国保を自分で納付している場合

国民年金保険料:年198,240円(月16,520円)

国民健康保険料:年222,282円

 

この条件のまま40年間納付し続けた場合の保険料額(単純計算)は、

 

会社で社保に加入している場合

厚生年金保険料:年373,320円×40年=14,932,800円

健康保険料:年204,000円×40年=8,160,000円

 

個人事業主等で国年国保を自分で納付している場合

国民年金保険料:年198,240円×40年=7,929,600円

国民健康保険料:年222,282円×40年=8,891,280円

 

ここで、健康保険料の納付額の差異を比べてみます。

 

健康保険料:年204,000円

国民健康保険料:年222,282円

 

この試算で、国保は全額自己負担だから被用者保険適用者の倍額を個人が払っているわけではないことがわかると思います。

  

国保は、年間収入総額から給与所得控除後の額を出してからさらに一定額の控除をした額に対して料率をかけます。

 

社保は、月収総額に交通費手当その他の現物給与も加算し上乗せをした額を基準とし、上限が設けられているとはいえ賞与も別計算して加算します。

 

つまり、国保の場合は年収を少なく見積もった額を基準としていて、社保は給与、非課税手当、現物給与など従業員ベネフィットを全て上乗せした総額を基準としているため、差し引きで大差ないように設定してあることがわかると思います

  

では、年金保険料の場合はどうでしょうか。計算を単純化するため、百万円未満を切り捨てて比べてみましょう。

 

厚生年金保険料:国民年金保険料

 = 14百万円:7百万円

= 2 : 1

 

労使折半して払った厚生年金保険料ですが、国民年金保険料のほぼ倍になることがわかります。

 

つまり、年金の1階部分 (国民年金)に加えて、2階部分(被用者年金)を払ったからであることがわかると思います。

 

次に、年金給付の観点から、比べてみましょう。

 

単純計算で40年間変動なくこの保険料を納付した場合の老齢年金給付の額を試算しますと、次のようになります。

 

会社で社保に40年間加入した人の場合

(老齢厚生年金)年894,499円

+(老齢基礎年金)年795,000円

 =年1,689,499円

 

個人事業主等で国年で40年間満額納付した人の場合

(老齢基礎年金)年金年額795,000円

 

さらに、納付済総額と給付年額の比率も出してみましょう。

 

会社で社保に40年間加入した人の場合

(年金年額)1,689,499円

/(納付済総額)14,932,800円=11%

 

個人事業主等で国年で40年間満額納付した人の場合

(年金年額)795,000円

/(納付済総額)7,929,600円=10%

 

どうでしょうか? 拠出と給付の比率で見ると、大差ないと思いませんか?

 

老齢基礎年金(国民年金)は、国庫からの補助がありますし、納付額ではなくて納付済月数をもとにして給付されるので納付月数が多ければ多いほど受け取る額が多くなります。学生納付特例期間中の保険料を納付していないなど国民年金保険料納付済み期間がフル期間に満たない時は、60歳から65歳までの間に任意継続して納付するなどしておけば、老齢基礎年金の受給額増やすことができます。


厚生年金は、育児休業中の保険料が免除になるだけでなく払ったものとして後々の給付を受けることができますし、万が一障害年金を受給することになった場合は納付月数が少ないうちでも300月納付したものとみなして給付を受けられます。

 

今の時代、制度に基づいた適用及び保険料賦課をきちんと行っていれば公平なセーフティネットが働く仕組みになっていることを、世間一般にわかっていただき、また、社会保障制度を信用していただきたい、との思いを込めてこの記事を書かせていただきました。

No.13-2022.12.5

離職にまつわる相談について

事務所代表は、労働基準監督署において労働相談対応をしていたことがあります。

特に、解雇法理に関しては紛争解決手続代理業務試験の受験のために勉強済みではありましたが、現実の事案に触れると、世間の誤解と、現実との狭間で、ある種のもどかしさを感じていました。

今回はそのことについて、思い出しながら書き留めておこうと思います。

労働契約法第16条の解雇規制は、判決まで争った事例(裁判例)に基づいて標準言語化し立法化されたものですこの、判決まで争った事例というのは、非常に根深い紛争問題を抱えた特異な事例だと思うのです。

何段階もの解決へ向けた交渉を経てもなお、双方が一歩も譲らないから、判決が降りるまで決着しなかったわけです。

当然、根深い恨みのような感情が最後の最後まで解消されなかった事例であると言えます。

そこで、解決のための一般概念としての道筋を示すため、また、根深い紛争問題にならないようにするために必要な諸々のことを一般概念で記述することを目指しつつも、まさか生々しい紛争の内容を個別具体的に法律条文に書き込むことはできないですから、少し抽象的な表現に纏めざるを得なかったのでしょう。

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」

抽象的な表現とはいえ、この行間に込められた意味を一言で言うなら「使用者の思いに任せて解雇してはならない」というものであると私は思っています。

もっと噛み砕いてみますと、納得できる解雇の理由をきちんと説明し、時期などを考慮して手順を踏み、退職後に路頭に迷わないようにして送り出すようにしないとトラブルになりますよ!という "注意喚起文" であるように思います。

しかし、冒頭と末尾だけ結んで中盤の条件説明部分を飛ばして、あるいは「客観的に合理的な理由及び社会通念上相当」の部分を「予告除外認定」と同義と思い込み「解雇は(予告除外認定がない場合は)無効とする」と解釈しているのではないか?と、感じることが多々あります。あえて言いますと、予告除外認定、即日解雇、及び懲戒解雇は同義ではありません。

それなら本人に問題があっても 解雇できないんでしょ? ならば、本人に自覚をもってもらって、自主的に辞めるよう仕向けるしかないでしょう!?

と考えてしまう使用者が多いように感じています。

しかし、このやり方は問題の根を深くしてしまいます。せっかく、過去の泥沼裁判を例にして紛争を繰り返さないよう立法化したのに、かえって泥沼の紛争に戻ってしまいかねません。

当事務所代表の生の経験に基づく見解ではありますが、労働者側の言い分を簡潔にまとめますと、

納得できる理由を説明して欲しい」

「きちんと予告手当を払ってほしい」

「次の就職先を見つけられるよう配慮して欲しい(就職活動のための時間確保など)」

つまり、客観的に合理的な理由を示した上で目下の生活不安払拭し送り出して欲しい、それだけなのです。

思い余って即日解雇することは避けましょう。面談などで今後のことを話し合い、本人に選択肢を与えたうえで(早めに退職勧奨に応じたら一時金を支給する、又は会社が示す最終日に辞める場合は普通解雇扱いとする、など)、できるだけ早く解雇の意思表示とデッドラインとしての解雇日又は最終勤務日を曖昧にせずに明確に示し、予告手当又は一時金を払う場合はその額及び支払日、給与の残金がある場合はその額及び支払日、その他精算がある場合は精算する方法、賞与は払われるのか否か、支払われる場合の計算方法及び支給日、健康保険証の返却方法、さらに場合によっては傷病手当金の支給申請方法など、退職にあたっての手続きを詳しく知らせる、そういう手間を怠らないこと、きちんと手続きを踏むことが重要であると、過去10年以上の経験値の中で常々思います。

このようにすることによって、退職する側も精神的・時間的に余裕をもって辞めることができますし、すぐに転職又は転身することができますし、恨みを残すこともありませんから、後から訴えを起こすこともありません。

最低限として、解雇理由(就業規則第○条の規定により、〇〇に該当したため、云々)、解雇日と解雇通知日(可能な限り1ヶ月以上先の日をデッドラインとして明確に示すこと。「本日、貴殿を...」ではなくて、二つの日付(解雇日、解雇通知日)を明記すること。)、予告手当の有無、有の場合はその支払額及び支払日(「30日分を支払う」ではなくて、計算基準・金額・支払日を明示すること。)、最後にその他の退職後の手続きについても、丁寧に伝えるようにしましょう

特に、理由、日付、予告手当の有無と支払額及び支払日、は必須だと思います。これらを曖昧なままにして雑駁な文言の通知を出すと、本当にトラブルになりますので、最新の注意が必要です。

No.12-2022.11.23

エクセルなどの表計算との関わりについて

事務所代表は表計算を厭わないどころか、表計算式を組み上げる作業が殊の外好きで、とても心が落ち着くのです。

縦列と横行との交差地点であるセルとセルとの関係性や、他のシートとの関係性を頭の中で繋ぎながら作業していくのですけれど、それが億劫ではなくて、むしろ精神集中できて落ち着くのです。

ひとりの世界に没頭していくような、静かな安心感を持つことができます。

出来上がりを想像しながらセルに計算式を入れたり、条件式を入れたりして、連携させたりして、目で見てわかるような表を作っていくこの作業は、思えば子どもの頃に夢中になって覚えた編物を編む作業に近いのかもしれません。

あるいは、図工の時間に方眼紙を使って、切り抜き、形を作っていく時の、特定の枡の位置が立体的に移動したらどんな形になるか、ということを考えるのも好きでしたから、この作業にも近いのかもしれません。

父が建築家であったので、子供心に造形に関心を持っていたのかもしれません。

独自ドメインを取得し、メールサーバーへマッピングし、Webサイトを作ったり、デザインしたり、Excel表に計算式や条件式を入れていくような創作的な作業が好きなのです。

そもそも、マイクロソフト社がWindowsを世界中に普及させる以前から、つまり、エクセルが普及する以前から表計算ソフトを使っていました。


1986年4月に、新卒で入社した会社で、初めて使った表計算ソフトはMS-DOS で動くSuperCalcでした。これについてはデータ入力だけの作業でした。

次に使ったLotus1-2-3では、データ入力だけでなく、ショートカットキーを独自に設定したり、マクロを組んで多種多様な設定を作ってみました。

というのも、最初に触れたSuperCalcで作られたスプレッドシートは、なかなかすごいものだったので、当然のことながらそれを作った人に対する直属の上司の評価は高かったのですが、他の部署の人から見るといつも遊んでいて仕事していない人と思われていたのです...

そういうギャップにむしろ感動したわけです。PCを使いこなし、PCに働いてもらって、自身は余裕綽々でいるのが、とても格好良く見えました。

それに引き換え、Lotus1-2-3のスプレッドシートのほうは、結構無駄が多くて、時間がかかるものだったのです。

Lotus 1-2-3も、あのSuperCalcのスプレッドシートのように高速で走るシステムにしようと、自分で工夫をしながらマクロを作ってみたりして効率化を進めました。

1990年12月にこの会社を退職したあとも、退職金をはたいてMac IIというPCを購入してちょくちょくPCを触っていました。では、Macに搭載された表計算ソフトを使ったかというと、実はその時はあまり使いませんでした...

(Macはインターフェースの微調整ができるところが好きで、今でも、主にMacのデバイスを揃えて仕事しています。一応Windowsも使っていますが。)

Mac IIが動かなくなって以降は、夫がWindowsPCを新調してExcelをインストールしたので、久々に表計算ソフトに触れさせてもらったのですが、その時のExcelは正直わかりにくいと思いました。

アイコンもインターフェースも今ひとつ洗練されていなくて、とっつきにくい印象でした。


Excelを本格的に使い始めたのは、会計事務所にフルタイムで再就職を果たした2003年12月からです。

会計ソフトに仕訳入力したデータを、Excelでも集計しておいて突合確認することなどに使っていました。何度も電卓で検算するよりも、Excelなら目で追うだけでチェックできるからです。このとき、いろいろな技を周囲の人から教わりました。また、自分に与えられた仕事の時間短縮を図るためにも、夢中で覚えていきました。

なお、この会計事務所では、Excel技だけではなく、テンキーのブラインドタッチ入力や、マウス・パッド・矢印キーなどを使う手指と、数字を入力する手指を、左右の手で分担して入力するテクニック、要は常時両手で素早く入力するテクニックも覚えました。

その会計事務所の顧問先様の事務代行を担当していたのですけれど、その顧問先様というのがシステム開発会社でした。

週に2日から3日くらい出向いて、経理及び総務事務全般を担う仕事でしたが、すでに社内のシステムエンジニアやプログラマーが経理業務をかなりシステム化してありました。

会計ソフトに仕訳入力する前の段階で、エクセルで自動的に仕訳伝票を作ったり、また仕訳入力が完了した後、Accessで独自集計する作業もありました。

システムトラブルの時は社内のエンジニアがコード画面を開いて検証してくださるので、それを横で興味深く見ていました。

その後、人事異動がありこの会社の事務代行は他のスタッフに任務交代しまして、私は、会計事務所内部の特定部門の給与計算を受け持つことになりました。

給与計算の前段として1箇月単位の変形労働時間制による労働時間集計業務があったのですけれども、前任者はExcel表に始業・終業時刻を入力した上で、なぜか割増対象時間は手計算で弾き出していたのです。

Excel表に時間のデータを入力してあるのに、割増対象時間の自動計算をしないなんて、もったいないと言うしかありません....

そこで、計算式を入れては検算を繰り返しつつ、1箇月単位の変形労働時間制に特有の、1日について、1週間についてのみならず、1箇月についても、それぞれの割増対象時間を算出し集計するという、当時の自分としてはだいぶ頑張って複雑な計算式を作りあげました。

当時のエクセルの計算式は、現在ほどには進化していなかったため、60進法と除数のあまりを割戻計算する方法を組み合わせて時間計算を行なっていました。

2006年9月には、資格試験の時間を確保するため別の会計事務所(週2〜3日勤務)へ転職したのですが、ここでは賃貸収入の月次収支及び持分自動按分する計算表、本則課税の消費税の検算表、時間計算表、給与計算表、など数々のExcel計算表を作りました。

2010年4月には、労働基準監督署に転職したのですが、許認可の許可基準を確かめる計算があって、それを私がExcelで算定していましたところ、上局で、これを参考にして一般化した業務用のExcel計算書を作成され、管内の各監督署へそれらが配布されたこともありました。

また、行政システムからAcessで抽出したCSVデータからExcelに移転させて、自作したファイル背表紙の定型フォーマットに印刷するというものを作ったりしました。

どの職場でもひとりくらいはPCに詳しい人がおられるものでして、この時も詳しい人が近くの席におられてAcessの使いかたを教えてもらったりしました。

他の署へ異動された労働基準監督官から「あのファイル頂戴〜」と言われて提供したこともあります。

思えば、社労士会の臨海統括支部の会計幹事をしていた時も、前任者がExcelマスターでしたので、会計ソフトからCSVファイルを取り出してExcelでピポットテーブルツールを使って独自の損益計算書を作成する方法を教わりまして、それを使っていました。


こうしてどこにいても、詳しい人が現れてはちょこちょこっと教えてもらっていました。また、他の人が作ったエクセルに感動するとその人のところへ出向いてその技を教えてもらうこともありました。インターネットでも、詳しい人が技を公表してくださっているので、インターネットで調べることもあります。

私が作るファイルは、あくまで該当箇所を見つけやすく、入力の手間数が少なくて、一度入れたデータは全体に連携させて二度と同じ値を入れなくて済むものです。

また、入力誤りをすると注意喚起がなされるようにし、ヒューマンエラーに気づきやすいように作り込んであります。

それでいて、誰が見てもどこに何が表現されているかが、一目でわかるような表であることを心がけています。

要は「見やすく、わかりやすい」ものを作るようにしています。それは自分のためでもありますが、それを見て使う誰かのためでもあります。

しかも、他人が思っているよりもずっと手早く、あまり時間をかけずに作ります。最初の核となるベース部分をしっかり作ったら、あとはフラクタル的に展開するだけなので、指数関数的にあっという間にファイルを大きくすることができるのです。

かつての職場の人にお会いすると「あの吉仲さんが作ってくれたExcel、今でも使っていますよ〜」と言ってくださるので、本音としてはできればもっとブラッシュアップして差し上げたいくらいなんですが...それは叶わずとも、やはり嬉しいものです。

なお、2022年11月の昨今では、Excelの限界というか...表計算自体は単純化されていく方向性になってきていて、複雑な計算はプログラミングによって作るという方向性を感じています。果たして、今後はどうなっていくのでしょう...いずれにしても、楽しみにしています。

No.11-2022.11.23

労務管理システムについて

最近のICT環境の進歩は目覚ましく、Web上で様々なことができるようになってきました。

従来から民間の事業者が作成するソフトウエア(ダウンロード版、Web版)も多く出回っています。

行政が作成して公開しているものとして、日本年金機構から出されている届書作成プログラムが従来からありますが、昨今では労働保険の年度更新用の計算書もありますし、今年は年末調整の計算書が国税庁のホームページからダウンロードできるようになりました。

なお、当事務所では、労働者名簿・労働時間及び勤怠集計・年次有給休暇管理・平均賃金算定・休業手当算定・給与明細・賃金台帳・年度更新計算・社会保険料納付額計算・源泉徴収額計算・源泉徴収高集計・源泉徴収簿・年末調整計算書・源泉徴収票などを一括網羅できるものを作成し提供しています。

なかでも、労働時間集計の方法は、勤務形態によって、給与の支払方法によって、実に様々なバリエーションがあります。

1箇月単位の変形労働時間制の場合には、予定と実施を必ず比較して算定する形式にしなければなりません。

一般的な平日勤務の場合の週40時間超の算定では、前月締日との繋がりに最も注意しなければなりません。土曜日勤務の取り扱い、代休と振替の違い、などを認識していなければなりません。

いわゆる残業時間は、所定外労働なのか、法定時間外労働なのかをしっかり認識しないと、どこかで勘違いを引き起こしてしまいます。ちなみに、労働基準法でいうところの"時間外労働"とは "法定時間外労働" です。

休日勤務は、週の起算日と実働日の認識をしっかり持たないとなりません。また、労働基準法でいう休日労働は、一般認識の土日祝の勤務とは限りません。

深夜勤務は、所定内労働時間か、所定外労働時間帯か、法定時間外労働時間帯か、休日勤務時間帯か、管理監督者の深夜勤務なのか、など多種多様なため、あくまで深夜勤務は2割5分増部分として明確に区別して把握しておかないと勘違いを引き起こします。

把握の方法も、ICカードや、タイムカード、自己申告など様々あり、これらによりある程度までは把握できますが、絶対ではありません。

ICカードキーは持参忘れしたり、タイムカードは打刻漏れしたりすることがあります。

自己申告は書き忘れたり間違えたりすることもありますし、分単位などは多少端折ることが多いと思います。

ある意味で正確無比と言えるWeb勤怠システムを導入しても、最終確認と修正の必要が起こってくることが容易に想像できます。

人差し指の静脈生体認証で入館する病院に勤務する人から聞いたのですが、冬の寒い日に自転車で通勤すると指をかざしてもなかなか反応しないらしいです。

外で必須の研修を受けたり、イベントに出席することもあるでしょう....これらはどうやって記録に残せばいいのでしょうか?

こんな相談を受けたことがあります...外勤の者にスマホを持たせて位置情報を発信させていたが、その人が位置情報を切って雲隠れしている時間があるが、どうしたら良いか?というものです。

そもそも、正確"時分秒" の把握をするべきなのでしょうか? 例えば、始業時刻の9時00分00秒と終業時刻の17時30分00秒に全員が打刻することが、現実的に可能なものなのでしょうか?

労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき適正な措置に関するガイドラインを読んでみても、時分秒を正確に把握するべきとは一言も書いてありません。

このように労働時間把握に関しては労使お互いに確認し手作業で修正する必要がどうしても出て参りますから、電卓で検算したり、エクセルで検算するなどの人的作業によるダブルチェックは欠かせまん。

そこまでしても、いわゆるヒューマンエラーというか、担当者レベルで作成したデータを信用しすぎてしまって決裁ルート上の全員が見落としてしまう、ということもあります。

当事務所で作成するエクセル集計では、同じエクセルシート内で検算式を入れて確認した上で、別のエクセルシート内で再度別の角度から集計して、検算しています。

それでも、何かの取り扱いの変更があった後しばらくして忘れた頃に、うっかり見落とすことがあります。そういう時は、お詫び申し上げてから、翌月の給与で精算修正させていただき、次回以降、同じ間違いを起こさないよう、自前の検算システムを見直しします。

詰まるところ、労務管理に関しては、労使の信頼関係に基づく日々の確認作業を怠らないことが、何よりも大切なのではないかと思ます。

No.10-2022.11.21

労働基準監督署勤務時代について(担当業務)

私は労働基準監督署に勤務していたことがありますが、そのことについて心無い感じで言われることが度々ありました。

世間に多い誤解の一つですが、労働基準監督署から連絡が来たからといって必ずしも労働者からの申告があったというわけではありません。

監督先は、多種多様な手法によってリストアップされますし、そして言うまでもないことですが、担当官が恣意的に決めるものでもありませんし、文書に書かれた担当者名は、必ずしも監督を担当する労働基準監督官とは限りません。単に、電話などの問い合わせ受付の担当者名が書いてあることもあります。また、文書が届いたからといって、監督指導をする趣旨とは限りません。

...10年の月日を経てようやく気持ちを整理できるようになったので、実際に経験したことを客観的に書き出しておこうと思います。


私から見た労働局関係の方々、なかでも労働基準監督官は心根が優しい親切な人が多かったです。

業務上で、わからないことを尋ねると、ほぼいつも丁寧に教えてくれました。

通達を探してそのコピーをくださったり、古いQ&Aを見つけてコピーを分けてくれたり、その人が作ったデータ(業務分類表など)を惜しみなく提供してくださったり、するような親切な方々でした。

手作りお菓子を分けてくださったり、家庭菜園の野菜・果物をくださったり、生活感あふれる人情深い親切を振り撒いてくださいました。

また、休日に数人で小旅行に出かけることもあり、実に友好的でした。

世間一般で思われているような、問答無用で違反を摘発することに命をかけているような人々、などではありません。


以下、私が携わってきた業務についても書いておこうと思います。


初年度の大田労働基準監督署では、東京労働局で研修を受け、大田署内でも研修をしていただいた後、36協定届、就業規則、特定元方、産業医届、などの届出の受付や、電話相談を受けていました。

1か月程経過すると、許認可業務(断続的労働許可、最低賃金減額特例許可)に関わらせていただき、調査へ赴き、手続きを行いました。また、宿日直許可の問い合わせに応じたりもしました。

しばらくすると、解雇予告除外認定の調査に立ち合わせていただいたり、労働基準監督官の定期監督に同行させていただいたり、外部研修会へ講師として派遣されたりしていました。また、立替払制度の手続きも担当しました。

少し余談になりますが、労働災害の一報が入りますと、労働基準監督官数人が作業着に着替えハーネスを付けて、現場へ出掛けていくような騒然とした日もありました。

次年度から勤務した新宿労働基準監督署では、相談申告受付(交替制)当番や、許認可(輪番制)を担当しました。なかでも、解雇予告除外認定はひと月あたりで2〜3件ほど担当しました。

また、定期監督に同行させていただくこともあり、2年間でおよそ50事業所の定期監督に連れて行っていただいたのではないかと思います。

他には、書類の整理・校正、Excelの検算・検証・保守、もしていました。ちょっとした頼まれ事として時間計算のエクセル表を作ったりすることもありました。


一旦退職してから少し間をおいて非常勤で復帰した三田労働基準監督署では、情報を電子データ化する業務、情報収集などのほか、許認可の申請が多いときなどに手伝うこともありました。


このようにして労働基準監督署に勤務していたあいだには、平均賃金の算定のこと、休業手当の算定のこと、解雇予告手当の計算のこと、それぞれの計算の起算日の重要性(通知が相手方に到達したときなのか、通知を発信したときなのか)、期間の考え方(民法は初日不算入、労働法は0時から24時までが1日、等)、端数処理のこと(各単位での切捨、四捨五入、切上など、詳細に規定されています)、各種の変形労働時間制における割増対象時間の把握、一般的に忘れがちな週40時間超となる割増対象時間の把握、解雇予告除外認定の認定基準、宿日直許可の許可基準、36協定届の必須要件の意味、行政文書の構成・書き方・用語・送り仮名など...細かくも大切な数々の要点について知ることができました。

また、あらゆる業種を網羅的に知る機会にも恵まれまして、実に多くのことを学ぶことができたと思っています。

No.9-2022.11.20

労働基準監督署勤務時代について(入職の経緯)

事務所代表は労働基準監督署に勤務していたことがありますがその時の経緯について詳細を思い出しつつ、備忘録としていておこうと思います。

Blog No.1Blog No.4にも書きましたように、最初に社労士開業登録をした2008年は、五反田にある小規模な会計事務所でパート職員(週2〜3日勤務)をしておりました。

社労士登録した頃に、会計事務所の所長先生が「社労士なら、金融・会計・経理の経験を活かして年金関係の仕事ができそうですが、できれば労務の経験もあるともっといいですねー」とアドバイスをくださったことがありました。

労務関係の実務を積みたいと思いつつも、社労士登録当初は、主に年金関係の業務に従事していました。(大田年金事務所(週1日勤務)年金記録調査業務や大田区役所の年金相談等

そして、労務関係についてより深く学ぶために、2009年秋に紛争解決手続代理業務試験を受験しました。

その合格発表の少し前の頃のことです。

2010年3月初旬に、大田支部の支部長から電話がかかってきまして「国家公務員の仕事応募しませんか?」と言われました。即答はできませんでしたが「1日考えさせてください」と答えておいて、翌日、会計事務所の所長先生に「4月からの常勤公務員に応募しても良いかどうか」つまり、その3月末で退職しても問題ないかどうか相談したところ、快く承諾してくださいました。

3月中旬に採用が決まり、4月1日から1年間の任期で育休代替職員(厚生労働事務官)として大田労働基準監督署の第1方面に配属されました。

この任期が終わる少し前の署長面談で次年度の予定及び希望について尋ねられた時「非常勤の空きがあれば非常勤で勤務を続けたい」と申し上げたところ「非常勤ではないが、新宿署の育休代替(常勤)はどうか?」と推されまして...次年度以降も育休代替職員を続けることになりました。

新宿での任期は2013年4月下旬までの概ね2年間で、その任期満了を迎える数ヶ月前に、かつての勤務先であった五反田の会計事務所から「次年度の予定は決まっていますか?実は、顧問先様の経理担当者が本年度末で退職することになったので、来年度その会社で経理をやってもらえませんかいう連絡がきました。

労働基準監督署の任期満了とほぼ同じタイミングでの再就職の話でもあり、お世話になった会計事務所の所長先生からのお願いでもあったので、渡りに船とばかりにすぐに快諾しました。

ところが、育休中の人が第2子を妊娠されたことによって、育休代替職員の任期がさらに1年延長となるという話が持ち上がりました。

会計事務所の所長先生御恩を感じていましたし、いろいろ考えてやはり育休代替職員の延長の話はお断りして、当初予定どおりの任期で辞めることにしたのです。

2013年5月から勤務した会社ではPCのハードディスクにインストールされている会計ソフトからWeb会計に鞍替えインターネットバンキングを導入し手書きで作成していた振替伝票をエクセルで自動生成できるようにし常に会計事務所とデータ連携できるように、1年間かけて業務のあり方を変えていきました。

その会社でやるべき自分の仕事はほぼ終わったと感じ始めた頃、2014年の春ごろですが、タイミングがいいというかなんというか、労働基準監督署から非常勤の募集があるから応募しませんか」とのお誘いを何度か受けまして、いくつかはお断りしたのですけれども...2014年の夏に「年度途中で急に休職してしまった非常勤職員の代替を募集するのだけど、応募しませんか?」とのお誘いがあった時はむしろ戻りたい気持ちが優先しさっそく勤務先会社の取締役に「勤務日数を減らしてもらいたい」と掛け合ったところ了解を得られたので、ハローワークへ行って応募書類を準備して申込み、面接をして、労働基準監督署に舞い戻ったのです。

2014年の夏以降、会社の経理(週2日勤務、後任への引継ぎ完了後2015年3月に退職)のほか、労働基準監督署の非常勤(週2〜3日勤務、有期契約を更新し2017年12月に退職)、社労士業務の3つを掛け持ちする日々が始まりました

当時は、家に大学受験生もいましたし、社労士会の会計幹事紛争解決手続代理業務試験の特別研修リーダー(グループ研修のファシリテーター担当)、そして母校の同窓会理事もやっていたので、毎日十分な睡眠を取る間もないほど忙しかったです。

こうして常勤で3年ほど、非常勤で足掛け4年ほどですから、およそ7年間前後にわたって労働基準監督署に勤務していました。

No.8-2022.11.11

レンタルオフィスについて

当事務所は、2018年9月から千代田区二番町にあるレンタルオフィス施設を利用しているのですが、「バーチャル?」と聞かれることが多いので、今回はその話を書いておこうと思います。

当事務所は、バーチャルではなくレンタルオフィスの名のとおり天井まで壁で囲まれた "専用オフィス" をレンタルしています。

設備として、内鍵・外鍵付き)、電源コンセント、専用インターネット回線(IP電話回線)、椅子が付いています。

その他の設備(シュレッダー、レーザープリンター、スキャナー、モニター、PC、キャビネット)は自前でセッティングしています。

また、共用部分には、受付(平日2人体制)、郵便受(個別鍵)、会議室・応接室(予約制)、給茶、食事室があり、コワーキングスペース(専用カードキー要)、シェアオフィス予約制)も利用できますし、施設建物の入口扉はセキュリティーカードキーを使って解錠します。

個人事業主は、役員、営業、広報、法務、財務、経理、総務、庶務、システム保守、窓口業務を全て1人でこなすので、このようなオフィス施設はとても助かります。安心で、合理的で、便利だと思います。

2020年4月以降の雇用調整助成金関係の業務は、個人情報を多く含む作業で外部の誰の目にも触れないような場所で作業する必要がありましたので、千代田区二番町のオフィスで仕事していました。

2022年の夏になると、過去最大の感染者を記録していたことやその他の自然災害の発生の可能性など、様々な物理的な災害リスクについて考えるようになりました。

そこで再び自宅の仕事室の方にも、レーザープリンター、スキャナー、モニター、PCなどの作業環境をととのえまして、今では、その日の必要に応じてオフィスと自宅のどちらでも仕事ができるようにしています。

No.7-2022.11.8

「バックオフィスの基礎知識」に掲載した「読者へのメッセージ」再掲

2017年に gozalさんの「バックオフィスの基礎知識」に、「読者へのメッセージ」を載せていただいたことがあります。(2017年5月22日公開


 

以下に、元原稿の「読者へのメッセージ」を再掲します。



  会社(採用する側)も従業員(採用される側)も、入社つまり採用面接までは前向きですからほとんど問題は起きないものですよね。しかし、何かしらのターニングポイントがあると、問題が噴き出てきたりします。主に、働き始めたとき(採用直後)、条件が変わるとき(労働条件の変更)、従業員が働けなくなったとき(休職・離職)、従業員に辞めて欲しいとき(解雇・退職勧奨)のターニングポイントが要注意です。つまり、約束が違うとお互いに感じるような物事が発生したときです。


 面接時に会社の担当者から言われたこと(採用時の労働条件)を、従業員は非常に細かいところまで覚えているものです。例えば「週休2日」「賞与は年2回」「試用期間3ヶ月」「3ヶ月後と1年後に昇給」など標準的に聞こえる労働条件を、面接時に会社の担当者が何気なく言ってしまうことがあると思います。しかし、実際は休日出勤が頻繁にあるとか、経営上の理由から賞与を1回に減らしたいとか、従業員の能力や勤務態度を見て昇給させたくないなど、言ったことと異なる状況が起きるとトラブルになってしまいます。入社時には法に則ったラインを守りつつ、ありのままの労働条件を書面で明示する、あるいは書面を取り交わすことにして、飾らないようにしましょう。ありのままを示すことが大切です。


 トラブルを起こさないためにもう一つ、各種法基準を満たしていることが大切です。労働基準法第1条第2項の書き出しに「この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから」とあるように、労働基準法は過去に積み重ねられた労働問題(児童労働・強制労働・過重労働など)と憲法に基づく人権問題を回避するために制定された法律なので、古いといえば古いのかもしれませんが、そうであってもこのラインは最低ラインですから、会社はこのラインを外さないようにしましょう。そのようにして、法的側面から会社の立場をしっかりと固めておきましょう。


 労働基準法は、働き方(労働時間、労働日、賃金)、休み方(休日、休暇、休業)の基本的な枠組みを示していて、労働安全衛生法では、健康管理、健康維持についての必要な枠組みを示すことによって、労働者が健康を害することなく働き続けることができる環境を維持するよう、会社に義務づけしているものです。


 一方、労災保険法、雇用保険法、健康保険法、厚生年金保険法の各法は、業務上の病気や怪我で働けなくなったとき、仕事を失ったとき、私傷病を罹患してその療養をするとき、高齢を理由として就業できないときでも、個人の生活を守ることができるように定められた社会のセーフティーネットです。


 このような最低ライン・セーフティーネットとしての法制度の枠組みを最大限に利用しつつ、会社独自の社内制度を展開していくことを目指しませんか。例えば、育児介護休業制度など、従業員が活用することによって長く働くことができるような制度を展開しませんか。


 そして、風通しの良いコミュニケーションによって一緒に働く楽しさを味わえる環境を作りましょう。仕事の情報を共有化することによりシフト勤務者から次の勤務者へスムーズに業務をバトンタッチできる環境にしましょう。仕事の情報を共有化すれば、誰かが休んでも互いにフォローできるようになり、休むこと(オフ)へのストレスが減ります。オフが充実すれば、オン(仕事の日)の業務効率が高まります。また、得意な分野を任されて各々が持てる能力を発揮できる業務分担や共同作業などのワークフローやチームワークの構築に重点を置くことによって、ひとりひとりが能力を発揮でき、働きがいを持って楽しく仕事ができると思います。いつの間にか長く働いていたなとしみじみ思う会社へと変貌していることでしょう。


 会社の実情はその会社で働いている方が一番よくわかっていると思います。一方で、守るべき労働・社会保険に関する法制度や、実際の手続きは煩雑で多岐にわたりますが、社労士こそがその専門家です。ぜひとも、社労士の知識と経験を活用させてください。社労士をうまく利用して、会社の独創性を展開していきましょう。そのためのお手伝いをさせていただきたいと思います。

 


No.6-2022.11.8

「バックオフィスの基礎知識」に掲載した「社労士になったきっかけ」再掲

2017年に gozalさんの「バックオフィスの基礎知識」に、「社労士になったきっかけ」を載せていただいたことがあります。(2017年5月22日公開)

 

以下に、元原稿の「社労士になったきっかけ」を再掲します。


  大学の4年間、知人の歯科クリニックで医療事務のアルバイトをしていました関係で医療保険に関心を持っていました。大学の専攻も、関連分野の社会福祉学科でしたので、そのまま自然体で社会保障政策のゼミに入り、公的医療保険制度(特に高齢者医療)を卒論テーマとしました。


 大学卒業後は外資系金融にいったん身を置き、子育て時期に会計事務所へ転職しました。


 従業員50名前後で、会計事務所としては比較的大きな事務所でした。担当していた顧問先で、うつ病による休職中の従業員が一定期間経過後に無給となったため社会保険料(健康保険料・厚生年金保険料)の天引きをどのようにしたら良いかわからなくなって、それを上司に相談したことがありました。「社会保険のことなら上村先生(仮名)に聞いて!」との指示でしたので、その先生に連絡して相談したのが社労士との出会いでした。


 上村先生は、「無給でも、社会保険料(健康保険料・厚生年金保険料)の本人負担分は、本人が会社へ払うものなので、振り込んでもらうようにして。それと、病気などでしばらく休んで給料が出ないときは健康保険から傷病手当金が出るので、まずはその手続きをしてあげて。」とテキパキと指示してくださいました。さらに、その従業員の職種はシステムエンジニアで、会社はシステム開発会社であることなどの状況を聞いた上で、「システムエンジニアがうつ病で休職か。難しいわね。労災ということもありうるわね。もしも労災保険がおりれば本人負担は非常に軽減されるし、給付期間も長いので、その方が本人にメリットがあるのよね。でもねえ、実際はメンタルでの休業って、労働基準監督署で労災として認定されることがほとんどないのよね。それにあわよくば労災保険がおりても、それまでに受給した傷病手当金や治療費を健康保険へ本人が返金しなければならなくなるし、本人にとってどちらがいいかわからいないわね。しばらくは傷病手当金の受給手続きをしてあげながら、様子を見るのがいいのではないかしら。」と、病気の罹患状況によって利用する制度が違うことや、制度ごとの本人の負担感など、様々な展開を視野に入れたアドバイスをしてくださいました。


 それは平成16年頃のことでしたが、当時の社会の関心事は年金保険料の未納や記録の不備くらいであって、オフィスワークによるメンタル疾患を労災とみるなど一般的には考えられないことでしたので、上村先生からのアドバイスを聞いて社会保障制度を見る目を大きく開かれるような印象を受けました。学生時代に公的医療保険を卒論テーマにしていたにもかかわらず、労災保険はおろか傷病手当金のことすらほとんど知らなかった私は、この分野をもっと知りたい、もっと勉強したいという気持ちになりました。


 このように理知的で気さくな印象の上村先生は、お子さんがいらっしゃる女性でしたので、育児に奮闘中だった私にとって、仕事としてだけでなく女性として、人生の先を行く憧れの存在になりました。


 上村先生との出会いがきっかけとなって、会計事務所に勤務しながらも税理士試験ではなく社労士試験を受験することに決めて、平成19年2月から専門学校で本格的に勉強を始め同年8月に受験し合格しました。翌年9月に開業登録をして社労士会主催の新規開業者向けのセミナーに参加しました。この日の担当講師のひとりがなんと!上村先生でした。それだけも感動でしたが、昼休みに外へ出ようとしたときに建物の出入口で先生と偶然お会いして、「吉仲さん!社労士になったのね!おめでとう!」と声をかけてくださり、さらにお昼ご飯をご馳走になりました。本当に驚きと感動の連続でした。さらに後日、社労士徽章をプレゼントしてくださいました!社労士徽章は、通常は各自で購入するものなのでありがたいご縁に感無量でした。


 このようにして社労士になり、平成22年3月末に会計事務所を退職して、社労士資格を専門的に生かした仕事に従事しています。行政や社会保険労務士会などの公的な業務と、直接依頼を受けて行う業務の2本柱ですが、どちらの仕事をしているときも同じように、働く人の誰もが働きがいを持って職業参加できる世の中になってほしいとずっと思っています。 

No.5-2022.11.8

海外グローバル企業とのつながりについて

本サイトに訪れてくださった方々と、はじめてお会いするときに必ずと言っていいくらい「英語でお仕事されているのですか?」と訊かれます。

今回は、私の英語経験とグローバル企業との関わり経緯について詳しく語ってみようと思います。


母方の先代が、子孫にかけていた夢は「国際的に生きることのできる人になってほしい」というものでした。

私が幼少の頃は家に英語学習の絵本と音声教材がありまして、小さいながらそれをよく聞いていました。

小学校3年生から6年生まで、発音記号と発音の仕方を徹底的に教えてくださる先生がやっている近所の英語教室 "Key's English Room" に通いました。

そのときに徹底的に教わったのは "th"を発音するときの舌の使い方、"r"と"l"の時の口腔と舌先の使い方の大きな違い、  "ing"の音の終わり方、 様々な音になる "s"、綺麗な濁りかたの"s"や"z"、他にも日本語で"ア"と書く音も、英語では実に様々な発音のバリエーションがあることを教えてもらいました。

小学生の時に覚えた身体機能というか口腔内の使い方は一生忘れないものですね。


中学生の時は、英文法を徹底的に教えてくださる近所の塾「上高田進学教室」の先生の個人指導を受けていました。

基本構文、構文構成の順序、入れ替え、時制及び時制の一致、関係代名詞、強調表現、分詞構文、動詞の変化、イディオムその他、中学校から高等学校で習う英語の文法、基本的な枠組み・構成などを徹底的に教わりました。

今になっても、この時の学びが非常に役に立っています。


進学した竹早高等学校は、伝統的に英語教師にたいへん恵まれた学校で、英語の辞書を執筆されている先生、英語の参考書を執筆されている先生、海軍出身の先生など、経験豊かな先生方から英語の本質を教わることができたと思っています。

今でも忘れられないのは、英文和訳の真髄は、英語の文章をある程度まとめて読解したあと、一度文体から離れて概念イメージとして理解してから、それを日本語で表現することであると...同様に、和文英訳(英作文)においても日本語の文章を概念イメージで理解して、それを海外のその国の文化ではどのように理解し認識するのかを想像し、外国人が理解しやすい英文に変換して、英語らしい構文で表現することだと教えてもらいました。

日本語で 「思う」という表現一つとってみても、英語圏では「思う」ことにも多くのバリエーションがありますから、それぞれに単語を使い分けします。時制や主語との関係性も考慮して単語を変化させます。そういう文化的側面を考慮したコミュニケーションツールとして、英語の使い方の要領を普通の授業のなかで教えてくださるような先生方でした。


私が高校生であった当時女子の進学・就職先としては外国語関係が最も花形でしたし、自分でも外国語を好きだと思っていましたから「英文科」又は「外国語学科」に進学するのが夢でした。

しかし、中学校から高校3年生までの間の成績を分析して自分の足もとを確認してみますと、勉強への投資時間にかかわらず、何故か社会科学系が全体として安定して成績が良かったので、そういう観点から安全圏と思える社会科学系の学部を受験することにしました。

そして、合格をいただいた大学の中で、最も通学に便利で家から近い大学が日本女子大学(社会福祉学科)でした。

小学校時代から英語の勉強をしてきましたし、どちらかといえば好きな科目でしたけれども、成績が良くて得意科目だったか?というと、そうでもなかったのでしょう...

大学入学後も、なんとなく英会話に引け目を感じていましたし、またどんなに多くの英文を読んでも、耳から音で入れても、口から英語がペラペラ出てくるなどという、奇跡の現象は起きませんでした。


そもそも、私の名前の「Chizuru」は外国人が読むと「チヅル」とはならず「キッツルゥ」となります(笑)。さらに、性別不明なうえ、家族名なのか、個人名なのかわからないという謎めいた名前のようで、どっち?とよく聞かれます。

外国人とメールで新規のやり取りをする時など、私に向かって「you」と表現しているうちはともかくも第三者に説明するときに「he」と書いてしまう外国人もいます(笑)。

名前の末尾で性別をなんとなく判別するのは海外も同様であることから想像を膨らませていくと「Yuzuru」さんという日本人男性の金メダリストの名前と「...zuru」という末尾が同じですから、まぁ無理もないことです。

事務所の英語名を「CHIZURU YOSHINAKA CONSULTING」として、ドメイン名をcy-co.jpとした訳は、このことを逆転の発想で活用するためでもありました。

海外のコンサルティングファームは、個人の名前を連ねた事務所名にすることが多いですので、当事務所の場合もこれにならってシンプルに個人名を使い「CHIZURU YOSHINAKA CONSULTING」としたわけですが、不思議なことに明らかに女性名であるという印象がむしろなくなるという利点を感じています。


話を、就職活動の頃に戻しましょう。

在学中に公務員試験や資格試験を受けないまま過ごし、学生最後の夏休みの序盤は学芸員資格のための実習とレポートで費やし、中盤は旅行に行き、終盤頃になってからようやく就職活動を始めました。

当時、社会福祉学科の学歴を活かすことのできる就職先としては、行政を除くと、福祉関係の民間施設又は行政の外郭団体などでした。しかし、これらは年度末(3月)に採用が決まると聞いて驚き、焦りました。

12月は卒業論文を書きたかったので、11月末までには就職先を決めておきたいと、思っていました

将来どんな仕事をしたいとかそんなことを考える余裕はなかったです。

少なくとも、立ちっぱなしの仕事は向いていないと思っていたのですが、思えば、1980年代半ば当時の女性の職業は、立ち仕事や話す仕事などの接客業が多かったんですよね。

スチュワーデス(キャビンアテンダント)、グランドホステス、アナウンサー、受付、販売、営業、ツアーガイドなどでしょうか...しかしこれらのどの仕事も自分には向いていないと思っていました。

結局、流通系の数社から合格をいただきましたが、最初の数年間は、必ず店頭に立って販売の仕事をするとの説明でしたので....結局立ち仕事なのか...と思って逡巡しました。

静かに落ち着いて作業する地味で緻密な仕事が好きなんですが...そうはいかないようでした...

そこで、ギリギリになって親に相談をして、知人を頼って、有名商社で役員をされている方を訪問し就職の口添えをお願いしたのです...が、案の定、大卒女子は採用しないとのことでした。

しかし、この方が「シティコープ(現:シティグループ)は、どうでしょう?」と、フローをしてくだいました。藁にもすがる思いでした。

指定された日時にホテルオークラのラウンジへ赴き、シティコープ(現:シティグループ)のとお会いしました。英語で自己紹介することはできましたが、向こうが色々英語で聞いてくると、リアクションに困ったりしたことを覚えています。

そうして、シティコープ傘下のシティバンク.エヌ.エイのさらに子会社(シティコープ・クレディット株式会社ならば大卒の新人を募集しているので就職面接に行くようにと、知らせが届きました。

指定された日時に、当時内幸町の日比谷国際ビル7階にあったシティコープ・クレディット株式会社へ赴き、面接を受けました。こうして、少なくとも立ち仕事ではなく、英語を使えるかもしれない仕事で、就職が決まりました。

採用通知を受け取ったのが11月中旬でしたので、11月後半から12月前半まで卒業論文作成に集中することができました。余談ですが、卒業論文はA+の評価をいただき、晴々とした気持ちで卒業できました。


入社後、東京営業本部に配属されて融資担当となりました。一括返済受付から担保解除までの業務からスタートし、1か月も経たないうちに融資申込受付から稟議書作成及び融資実行手配を任されました。

また、担保の実地調査、一括返済、融資実行、小切手又は現金運搬などのため、外出することも多かったです。

融資業務は、貸金業法、民法、宅地建物関係の法律などの法律知識だけでなく金融・財務・会計知識も欠かせません。

実務経験を積みながら、社内研修(通信教育)で学びながら、覚えていったわけですが、これら社会科学分野は自覚がなくても得意なほうだったのでしょう...その年の年末に、社内表彰で「新人賞」を受賞し、東京営業本部長から「今年のルーキー」と称していただいたりしました。

しかし、業務上ほとんど英語を使いませんでしたし、社内で使う様式や文書は英語又はバイリンガル表示なのですが、記入する言語は日本語で良かったのです...

さらに、社内の会議室でカナダ人講師2名による英会話レッスンを勤務時間中に受けさせてもらっていましたので英会話を身につける環境に恵まれていたと思いますが、これで上達したという自覚はありませんでした。

なお、年に1回程度、Asia Pacific Division 全体の Business Conferenceが開催されるときには、国際色豊かな会社(グローバル企業)に勤めているという実感を持つことができました。 

そして、できれば..."国際社会を舞台にするような英語のデスクワーク"をしてみたい" という夢を相変わらず持っていたので、自主的に翻訳の勉強もしていました。

3年目の中盤からバックオフィスへ異動し、米系金融らしい先進的なツールを使って、各種様式の整備、業務効率化対策、業務マニュアル、従業員アンケート、内部監査などの業務管理に従事しました。内部監査のため、札幌、名古屋、大阪へ出張することもありました。

5年目には持株会社の財務管理部へ在籍出向し、シティコープ・クレディット株式会社の経費の管理を行う部署にいて、専用コンピュータ端末で英語オンリーの表計算ソフトを使って作業をしていました。

毎月1回程度、太平洋海底ケーブルを使ってオンライン会計データの引き渡しをするのですが、北米大陸との時差の関係で、折り返し知らせが来るまで、こちらでは深夜まで待つこともありました。

この時の部門長はアメリカ人で英語オンリーな人でしたので、思えば  "国際社会を舞台にするような英語のデスクワークをしてみたい" という夢が "ようやく叶った!" と、言えなくもないのかもしれません...


このように仕事が充実していた同じ時期に結婚もしたのですが、両立を欲張りすぎたのでしょう....一時期体調を崩しまして、その後持ち直して何とか継続して頑張りましたが、やはりどうやっても両立は難しいと判断しまして、1990年の年末に退職しました。


子育て中に外国人の親子とお友達になったりすると「あなたの英語らしくきちんとした英語は、どこで覚えたのですか?」と聞かれることも多かったのですが、あいかわらず自己評価が低かったのと、こうした軽い日常会話と、海外旅行英語くらいで、仕事で英語を使う場面は、前述の会社を退職した後10年以上ありませんでした。


社会保険労務士になる少し前の頃でしょうか...家族が起業した会社の従業員の9割が外国人でしたので、英語の給与明細を作って英文メールを書いて送信するなどの業務を手伝ったりして、再び英語を使い始めるようになりました。

そうして、独立開業社労士として千代田区二番町に事務所を移した前後の頃には、従前から交流のあった複数の公認会計士の先生方から「仕事で英語を使えるなら外国企業の社労士業務をやりませんか?」とご紹介をいただいたりしました。

当サイトにも英語版のージ "For English" がありますので、こここへ直接アクセスして問い合わせくださる先もあります。

英語での業務内容としては、英語版就業規則、バイリンガルオファーレター、バイリンガル又は英語版の雇用契約書、バイリンガル36協定届、バイリンガルフレックスタイム協定、英語版の労働時間及び勤怠集計表、バイリンル版の給与計算書(給与明細書・賃金台帳・年度更新計算書・社保料計算書等全て含む)など提供し、その他様々な質問(採用条件の決め方、条件変更の仕方、退職勧奨の注意点、解雇の注意点、有給休暇の考え方、社保料納付額の計算の仕方など)に英語で答えていますし、eGOVで使用する委任状もバイリンガルで作成しています。

こんなふうにして、海外の企業本部日本国内で就業している外国人に対して日本労働社会保険諸法令に基づく様々な行政上の制度についての概念を英語で説明し理解していただくために、今もなお奮闘しているわけです。

No.3-2022.11.2

任意継続について

皆さまの健康保険証はどこのでしょうか?

共済組合健康保険組合国保組合協会けんぽ市町村国保

とさまざまあります。

そして、現在被用者保険に加入している方は、退職後に再就職しない場合、その後は市町村国保に加入するのが普通です。

なお、被用者保険に退職後も引き続き加入する方法として、任意継続というものがあります。

しかし、任意継続している間でも、再就職したらまた就職先の健康保険に入ることになっています。

その場合は、ご自分で手続きして任意継続のほうの資格喪失するはずなのですが、その認識が全くない方がおられます...

任意継続に入っているから再就職先では入らないとか、再就職先の保険は外してくれとか、手続した担当者が間違っているとか言い出すのです。

しかし、Blog No.2 で書いたように健康保険制度は幾度もの制度改正を経て今では制度間の格差がほとんどなくなってきていますし、任意継続はあくまで任意で、それに対して被用者保険は必ず加入するべきものですから、そうなったら任意はやめないといけません...

いずれ2024年秋になれば、今のお手元の健康保険証廃止されマイナンバーカードと一体化されることになっています。

マイナンバーカードと一体化された暁には、このような任意継続にかかるトラブルは起こらなくなると思われるので、早くそうなって欲しいものです。

そして、健康保険証が元々どこの発行のものであるかは見た目では識別できないことになりますし、保険証を発行したり返却したりする手間も必要なくなります。

こんなふうに、健康保険制度は、どんどんと未来形へ、先へ先へと進んで、公平で便利になっていますから、そういう変化にしっかりとついていきたいものです。

No.2-2022.11.2

健康保険制度の変遷について

昭和の時代の話から始めたいと思います。私の頭の隅に残っている朧げな記憶で語りますので、詳細は曖昧になりますがお付き合いください。

勤務先の健康保険(被用者保険、いわゆる健保)の被保険者の本人は、なんと窓口負担がなかった時代がありました。昭和時代の半ば過ぎ頃までそうでした。

こんな素敵なベネフォットを享受できる健保は、公務員共済、学校共済、企業の健康保険組合などだったと記憶しています。

また、中小企業向けの政府管掌健康保険(現:協会健保)というのもありましたが、こちらはなんとなく地味であまり知られていませんでした。

一方で、勤務先の健康保険(被用者保険)に入っていない人は、市区町村の国民健康保険(市町村国保)に加入することになっていました。

国保は、個人事業主が中心で、基本的に労使の概念はないため保険料は全額自己負担です。それだけ聞くと負担感が半端ない感じがしますが、現実をよく紐解いてみるとそうでもありません。

さらにこれらの制度ができるもっと前から、国保組合という健康保険制度が存在していて、今でも医師国保、弁護士国保などが、健康保険制度の長い歴史の根幹を成しています。これらは保険料が定額で、収入の多寡で変動しないというメリットがあります。

他にも、船員保険というものもあります。船員保険の特徴は、被保険者が行方不明となってから割と早い時期から遺族給付が受けられる点で、その分保険料が高めに設定されていました。

健康保険と一口で言っても、このように実に様々な制度がありますが、一般的には、ご自分が加入している健康保険が全てだと思っておられる人が多いようですね...。

そして、加入している健康保険によって、また、本人か家族かによって、かつては窓口負担割合が異なりましたし、保険料にもかなりの差がありました。

そのうえ、今と当時を比べると現在の4分の1程度の保険料負担額でした...具体的な数字はともかくも昭和時代はだいぶ健康保険料が安かったんだなぁと思っていただければ、十分です。

全体に大規模組織の共済組合や健康保険組合であるほどに、また高額所得者が多く存在する組織であるほどに、保険財政は豊かで保険料は安く(労使折半のほか、保険料率も低かったのです。)、窓口負担が軽く(昭和の終わり頃には、本人負担1割に上がっていましたが、それでも現在の3分の1ですから。)、保養所があって、健康診断も充実していました。

一方、市町村国保は、計算の基礎となる金額は年収ベースで年間保険料を算定し、それを10等分した額を10ヶ月間に分けて納付します。家族の分も保険料が発生しますのでなんとなく月々の負担感が高くなります。さらに、高齢者の比率が高く、医療にかかる人の比率(有病率)も高くなり、結果として市町村の財政をも圧迫していました。

その後、平成時代に数度の制度改正を経て、今ではどこの健康保険でもほぼ同程度の保険料負担ですし、高齢者その他特別な場合を除いて窓口負担割合もほぼ3割で、健康診断の内容にもほとんど差がありません。

さらに、任意継続、高額療養費制度、傷病手当金、出産育児一時金・出産手当金、とさまざまな給付の制度に差がなくなり、全体として目を見張るほどに広くあまねく医療が提供される体制が整ってきています。

No.1-2022.11.2

社労士会の支部活動と支部移転について

どうして大田支部を出たのですか?

という意味深な問いかけをされることがよくあります。初回は、この疑問にお答えしたいと思います。

最初の開業登録後の10年間の紆余曲折を織り込みつつ、長々と丁寧に語ってみたいと思います。


最初に社会保険労務士の登録をした2008年当時五反田にある会計事務所でパート勤務をしておりました。試験勉強を応援してくださった会計事務所の所長先生が合格を大変喜んでくださいまして、その会計事務所で社労士登録したらいいのでは?とありがたい提案までしてくださいましたが、当時、家に中学受験真っ只中の子と高校生になったばかりの子がいたので、色々考えた末に大田区の自宅住所で開業登録することにしました。

会計事務所から給与計算や算定年度更新などの業務をわけていただき、社労士業務をスタートしました。会計事務所でのパート勤務のない日に、家で家事の合間に社労士業務をするという日々でした

大田支部では当時の執行部の方々から多大な支援をしていただきまして、行政協力(年金事務所、労働基準監督署、区役所)、支部会計幹事、特定社労士受験のための特別研修リーダー(グループ研修のファシリテーター担当)、労働条件審査など数々の実務経験をさせていただきました。

なお、2010年4月から2013年4月までは、労働基準監督署に任期付職員としてフルタイム勤務していましたので、登録は「開業」から「勤務」「勤務等その他」へ変更したりして、それでもなんとか大田支部に繋いでおりました。社労士の支部登録と会員種別はわかりにくいですが、こんなふうに繋ぐことができてよかったです。

任期付職員任期満了後、2013年5月に「開業」登録へ再び戻しまして、その後もしばらくはどこかしらに常勤・非常勤などで勤務したりして、勤務と開業の二足のワラジを続けていました。


2016年4月に末子が大学生となり独り立ちしたことが主なきっかけで自宅を引っ越しすることにしまして、大田区内からあまり遠くない場所でと、1年間家探しをしました。

2017年4月に家から徒歩30分以内(2キロメートル圏内)の場所に、ちょうど良いあんばいの広さと値段の家を見つけまして、引っ越しが実現しました。

入居前の掃除に徒歩で通えるほど近い場所なのですが、そこは世田谷区でした。そうなると、支部登録を大田支部から世田谷支部へ移転しなければなりませんでした。

家は世田谷区でも、事務所は大田区内で探すべきかどうしようかと考えましたが、自宅に仕事ツールが揃っているのは実にいろいろと便利ですし、その当時は労働基準監督署の非常勤職員をしていて週に何回か通勤もしておりましたし...と、悩みつつも、世田谷支部へ順当に移転登録しました。

それでも世田谷支部には挨拶に行かずじまいでした。世田谷支部の皆さま、ごめんなさい。

そうこうしているうちに夏が過ぎて、2017年の秋には給与計算業務や算定・年度更新業務のほかに、英語の雇用契約書作成業務、設立(新規適用、保険関係の成立、雇用保険適用事業所届)や、医師の1箇月単位の変形労働時間制導入などの新規受託が複数件同時にスタートしつつありました。

もはや、勤務と開業の二足のワラジの両方を続けることは、困難であると確信したのです。

そして、非常勤職員退職し完全なる独立をしようと決意しまして、2017年11月下旬ごろ上司に退職を申し出ました。

退職を申し出てからまだ間もない週末に、右手首の複雑骨折の憂き目に遭いましたけれども、不思議なことに何もかものタイミングが揃うことってあります。世間では働き方改革の追い風が吹き初めていて、eGOV電子申請のICT環境が整備されてきていました。

家にいてもPCさえあれば、そして指一本でもキーボードさえ叩ければ、複写用紙に力を込めてボールペンで書かなくても、わざわざ電車に乗って出かけなくても、たいていの届出・申請ができる環境になってたので、左手はともかくも右手は人差し指1本で、乗り切りました。

2018年の初夏の頃に、右手がまた普通に使えるようになると、電車に乗って外出するのが楽しくなってきました。やっぱり、外に事務所を出すべき時期に来ているのかも...と本気で考えるようになっていました。

大田区、品川区、港区、目黒区渋谷区などを中心に探しました。条件は、完全個室(天井近くに隙間がない壁と扉、及び内側からも外側からも鍵がかかる扉)、個別電話回線、個別インターネット回線、共用会議室(必要に応じて予約するタイプ)、共同受付(受付人が待機しているもの)、個別郵便受(鍵がかかるもの)があるレンタルオフィスでした。

思うエリアに思う条件の物件が見つからなかったので範囲を広げて、ためしに千代田区周辺をあたってみましたら...自宅から乗り換えなしで電車通勤することができる場所で、求めている物件が見つかりまして、2018年9月に事務所を自宅の外に出すことにしました

自宅にあったPC、モニター、スキャナー、プリンター、シュレッダー、書籍の仕事ツール一式を、千代田区二番町の事務所に運搬手配したり、自力で運んだりするのは、とても楽しい作業でした。

社労士登録をした2008年9月からちょうど10年の記念すべき節目でもありました!


千代田支部長に挨拶しないと、と思っていたちょうどそのタイミングでした...東京都社会保険労務士会で行われた研修会の会場で知人数人久々に会いまして、その後一緒に食事をしたのですが、隣のテーブルに当時の千代田支部の支部長がおいでになられたのです!

本当に不思議な偶然でした!こうして楽しいひと時を過ごしながらご挨拶することができました。

千代田支部は大所帯でして、有名な社労士の先生が多くおいでになられる支部ですので、その恩恵あって研修・セミナーが大変活発です。

近年法改正目白押しで、社会情勢の変化が目まぐるしく、何年経っても新しい勉強、勉強、勉強の日々で、息つく暇もないのですが、千代田支部の充実したセミナー、特にコロナ禍でのWebセミナーにはずいぶん助けられています。

こうして新入会員としてあまり認知されないままに数年経ってしまっていまして、ほとんど誰も私を知らないままとは思いますが、本当にいつもありがとうございます。

そんなこんなで、最初は大田支部で活動し、今は千代田支部で影の薄い会員になっています。